喧嘩:教授サイド


大人気ないのは百も承知だ。普段の私が今の私を見たならば、恐らく呆れ果てるか頭を冷やせと諌めるかのどちらかだろう。どちらにせよ自己嫌悪に陥るのは必至である。それでも「今」の私はこの状況に苛立ちを感じずにはいられない。
この苛立ちは他でもない、最愛の弟子ルークに向けてのものである。
彼は実際、普通のグラマースクールに入れておくのが惜しいくらいに優秀な、それでいて育ちも申し分なく良い子だ。
だが、それ故に少々生意気が過ぎることもある。
問題は本人にその自覚がないことだ。だからこそ、今この様な状況に陥っているのだが……。
紅茶の風味が鈍くなるのを嫌って煙草は吸わないのだが、今はあの味が欲しい。私は若気の至りで購入したパイプを引き出しの奥から取り出し、数年ぶりに火を入れた。
……やはり、それほど美味しいものではない。
煙を蒸かしてから程なくして、ルークの部屋から勢いよく窓を開ける音がした。十中八九、“これ”が原因だろう。煙草など吸い出した私に対する当てつけだと取るのは些か考えすぎだろうか。
晴れない気持ちは変わらないが、新学期が始まったばかりの今、私にはすべきことが少なくない。こう立った気持ちでは手先の作業をする気も起きないので、先に書類を片付けることにした。「書類」とは言っても、先日学生たちに課した課題だが。
パイプを片手にペンを走らせる。ブレッドの論はいつも的を射ていて素晴らしい。ドリューにはもう一つ頑張ってもらいたいものだな。ロゼッタは見た目に反し実に優秀な学生だ。と、女性を容姿で判断するのは英国紳士失格か。……


評価を一通り終え、デスクの右側にまとめていたそれらを左へとすっかり移動させた頃には、いつの間にかパイプを口から離していた。代わりに、舌や歯の裏には懐かしい感触が残された。
時計を見ると、そろそろアフタヌーンティーにしても良い時間になっている。ちょうど良い、あとは捺印を終えてから、ハーブティーを濃い目に入れて気分も舌もリフレッシュさせるとしよう。
……と、言いたいところではあったが、どうやらそれは叶わなさそうだ。
状況を端的に説明するならば、判子が無い。いつも判子を置いてある場所には塵一つなくなっている。
ああ、そうか。整頓が不得手な私が机の上に紙束を置けるところから、気付くべきだった。あの子が整理したばかりなのだ。
この能力に関しては私はあの子に頭が上がらない。しかし、部屋にこもっているところに何食わぬ顔で判子の場所など訊きに行くのは躊躇われる。全く……あの子もいつまで不貞腐れているのか……。
「……くしゅっ」
不意に、ドアの向こうからくしゃみのようなものが聞こえた。ルーク、だろう。
そういえば先ほど窓を開けた音がしてから、物音一つ聞こえない。当然窓を閉める音も、だ。もう秋も終わりに近付いているというのに、まさかまだ開け放しているのだろうか。あの子は一体何を考え……
あることが思い当たり、私はブランケットを手にルークの部屋の前まで来た。
「ルーク、入るよ」
軽くノックをしてからゆっくりとドアを開けると、案の定、ルークは窓を開けたまま、ベッドの上で布団もかけずに縮こまって眠ってしまっていた。


まったく……何を、意地を張っているのだ。私は。
持ってきたブランケットをそっとルークにかけ、窓へ向かう。ちょうど良い、少し、頭を冷やしていこう。先ほどまでの自分にはほとほと呆れ果てる。
おや、どうやら「冷静な私」は、先の選択肢の両方を選んだようだ。こんなに小さな子にムキになってしまったのだから、それくらいは当然かもしれないな。
とにかく、この子が目を覚ました時には機嫌が直っていて、共にティータイムを過ごせることを祈りたい。


仕方がない、頑固なこの子のことだ、今回は私が先に折れるとしよう。
私は窓を閉めてルークの部屋を後にし、2人分のアフタヌーンティーの用意をした。