「定期」のありがたさ

昨日の件は、結局無視するかたちとなりました……
詐欺の類ではないし、恐らくセールスレディにもノルマ的なものが絶対あったのだろうから、
心苦しいっちゃ心苦しいけどね。
でもこんなのきっと慣れてるだろう、と半ば非情な結論を出さざるを得ませんでした。
昨日あんなに親しげに話したのにごめんなさい、やっぱり我が身がかわいいんだ。


大泉エッセイ読んだ!!
この本、どういう本なのか知らない人が大半だろうからちょっとだけ説明しますと。
大泉さんが過去に3誌ほど連載を持っていたときの文章と、今年書き下ろした文章が収録された本です。
大体9:1くらいの割合ですかね。
過去の記事っていうのも97〜05年と割と古めなので、
ここ数年の大泉さんの活動に関してはほとんど書かれていないです。


過去の記事に関しては、大泉さんが振り返りコメントをつけてたりするんだけど、
これがまーあ面白い。
当時の勢いで書いた文章に対して冷静な(そして呆れ果てた)ツッコミや感想を述べてるのね。
ものの見事に「CV.大泉洋」で再現される感じね。
面白いのは、基本的な文体は当時も今もほとんど変わってなく見えるんですよね。
本人からしたら全然違うのでしょうけど。
だから、ひょっとしたら私も40歳で今と同じような文章を書いてるかもしれない、と想像してしまって。
空恐ろしいですね。40んなってもこんな文章書いてるの想像できない(笑)
正直、学生ノリの文章だと思っておりますので。


まあ要は「他人から自分の文はどう見えてるのだろう」ということを漠然と考えたっつっても過言ではないですね。
そうやっていうとちょっと重たいんだけどね。


もう1つ思ったこととして、やっぱり「習慣」って偉大だなと。あらためて。
大泉さんは超遅筆で〆切を破りまくりながらも、数年間連載を続けてたわけですよね。
実際「この回はひどいわ」と振り返りつつも、規定文字数に達した1つの作品にはしている。
この「無理やりにでも出す」ってすごく大事なことだと思う。
これが「納得いくまで推敲していいですよ」だったら、絶対に連載って自然消滅するもの。
受け手(読者)って、そこまで毎回ハイクオリティなものを要求してるわけじゃないと思うんですよ。
そりゃ全く面白くなかったり明らかな行稼ぎばっかだとアレだけど。
何かしら、(語弊があるかもしれないけど)とりあえずは形になっているものであればいいんだよね。


だけど提供側は、「こんなんでいいのかな」と悶々する。
でも時間は限られてるから出さなければならない。
それでいいんだと思います。
逆に〆切がないと、自分の中でどんどんどんどんハードルが上がるだけなんですよ。
「すごく久しぶりになのに、こんなんじゃ納得してもらえないのでは」って勝手に思い込んじゃう。
それでまた発表を見送る、の悪循環。
うーん、だから偉大なのは習慣というより、〆切があること、かな?


まぁ、勝手に自分にも当てはめてしまっただけなんですけどね(笑)
私の場合〆切は「翌0:00」と自分で定めてますが。
毎日更新してるのは意地でもなんでもなく、本当に習慣になってるからです。それは嘘じゃない。
けど、「何かあった時でいいよね」に切り替えちゃうと、いつか何も書けなくなる日が来ると思ってるのもある。
だって絶対にその「何か」に対してのハードルが上がるもん。
だからくっだらないことや本当に何にもない時でも、私は毎日更新しているのです。


帰着点なんぞwww
そしてそんなことをうだうだ言ってるから、今日の更新が11時59分とギリギリになりました。
あっぶねー!