現代文ラビリンス

高校の現代文をやるようになってから、頻りに思うようになったことがあります。
評論文にしても何にしても、高校で扱う文献って嫌に厭世的なのが多くないですか?
小学校の時はもちろん、中学でもまだ道徳的というか、言ってしまえば絵に描いたような「よいこちゃん文章」が中心だった気がする。
それが、高校に上がってからというもの、どうもひねくれた意見が多い。
いや、そっちの方がハイレベルに複雑な設問ができるからでしょうけど。


ていうか最近のものって何でもそうじゃないですか?
「正義」とか「努力」のように、一般的(と言って良いのかどうか分からないけど)に「プラス」とされているものを好んだり肯定したりすると「単純」で。
逆に、さっき言ったように厭世観漂うものを好む方が「かっこいい」。
「人と違うことをやりたい」っていう人間心理がそうさせるのでしょうが、それともなんか違う気がするし。
第一皆が好きって言ったらもうその心理的欲求は満たされないわけで。
何年後かには、今の「マイナス」が「プラス」になって、今の「プラス」が「マイナス」になってたりするんでしょうか。


結局、何が言いたいのかわからないです。
ぼうっと、そんなことばかり考えていました。



今日家帰ってからちょっぱやで描いたマザ3絵。↓
ネタバレのようなそうでないような。
まぁ双子絵で、1章後半とかその辺とだけは言っておこうか。





「まってよ行っちゃやだ!クラウスっ、クラウスにいちゃんにももしものことがあったら、僕っ、僕どうしたらっ…!!」



「離せよリュカ!僕がやられるわけないだろ!?…絶対、おかあさんのカタキを討ってやるんだっ…!」


対比っぽく描きたかったのに、何かがおかしくなっている。
双子の髪型は未だ手探りです。描く度ちがう…!


……もう、わかる人だけわかってください(泣
空嬢とか空嬢とか。