よくわかんないけど語ってみる。

「海馬」、相変わらず読んでいます。
そこで脳のメカニズムに関するお話なんですけど、
まずは本の中の一節を引用させていただきます。

「好き嫌い」は、実は記憶が生むものです。感情は、全部過去の記憶から生まれます。
遺伝子にもともと書かれている先天的な記憶や恐怖心もあるにはありますが、それよりもその個人がどういう経験を経て今に至っているかが重要でしょう。それによって、はじめて会った人にも嫌悪感が自然と生まれるかもしれませんし。

なるほどねー、って思いました。
皆さんにも少なからず経験があると思います、初対面にもかかわらず「あ、私たぶんこの人苦手だな」っていう感覚。
これって、要は過去に似たような人とあって酷い目にあった、あるいは物語の嫌いな登場人物になんとなく似てる…広義に解釈するとそういうことまで含めるのでしょうね。
「あの子だったらこういうこと言われてもいいけど、あの子には嫌」みたいなのも多分ここから来てるんだろうな。


で、それに結び付けられるかどうかは微妙なのですが、
私には、どうしても受け付けない、言葉に出すのも厭わしい物事…すなわちワードが2つほどあるんですね。
いや、もっと多いと思うけど、しぼりにしぼれば2つです。


それも、おそらく「過去の経験」が強ーくのこっているからなのでしょう。
それらに関することは、大体良いことを聞かなかったり、大袈裟に言ってしまえば大事なものを奪っていってしまう存在であったり。
さらに、頑固な性格がそれを助長させてしまうかたちになって「絶対に受け容れてやるもんか」と…。
トラウマにおいても「できることなら克服したいトラウマ」と「一生疎ましく思っていたいトラウマ」に二分することができると思うんです。
私が語っているものをトラウマとすれば、これは後者でしょうね、おそらく。


とにかく、「嫌い」という感情は過去の経験が多大な影響を与えるということです。
なんで好きになれないんだろう、克服できないんだろうと考えをめぐらせていけば、いつかは「あの時のことが強く影響しているんだ」っていうのが出てくる可能性がある、ってことですよね。
逆に言えば、前述した2種類のトラウマのうち、後者を克服してしまったら、過去のいつかの自分を裏切ってしまう、ということになる気がします。
だったら、もう「嫌い」は「嫌い」でいいんじゃないですかね。
楽観的なようで、なんとも消極的な考え方なのですが;


「記憶」という概念がこんなにも奥深いものだとは思わなかった。
どんな面においても、記憶がなければ何もできないですもんね。
ああ、理系脳に生まれていればこういうメカニズムを解析したりする研究に携われたかもしれないのに。